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24時間テレビ

随筆:24時間テレビについて

『24時間テレビ 愛は地球を救う』は、日本テレビが毎年夏に生放送で行う、長時間チャリティ番組である。

第1回目は1978年8月に行なわれた。当時の映像を偶然見た事があるが、萩本欽一と大竹しのぶが、日本のテレビ史上で前例がなかったがゆえに方向性の見えない巨大チャリティ番組の顔として、素顔の表情で聴衆に募金を呼びかける様には、爽やかな感動を覚えた。その後、80年代を迎え、90年代を過ぎ、21世紀の現代に至る。

大型チャリティ番組なのは昔も今も変わらないが、一方で黒い噂やお金の話も絶えない。毎年夏になるとネット上で様々に騒がれるが、が見る限りは否定的な意見が圧倒的に多い。

障害を持つ人が体を張った企画に挑戦するあたりは、同じような障害や重度の疾病を抱えた人に対するエールとしてまだ理解できる。しかし毎回やるマラソンは個人的に全く意味が分からない。おそらく実際には歩いている状態が99.9%だろう。何がどう巡ったらチャリティに結びつくのか? しんどい状況を見せつけて同情を誘うなら、24時間テレビのスタッフの様子をノーカット生中継でもしたほうがコストもかからずまだマシなのでは? と思う。

白けた訳ではないが、24時間テレビを見なくなって、もう何年も経過する。1秒も見ていない、というよりは1ミリ秒も見ていない。

その一方で私は、24時間テレビの基本主旨自体は評価している。ノーベル平和賞を狙える、テレビ界の良心が生んだ結論のひとつだとさえ思っている。

一番売れている人しか選ばれない番組

24時間テレビには、黒い噂やお金の話とは別に「定説」がある。

あるアイドル評論家の言葉だが「パーソナリティ(同番組のイメージキャラ)には、その年で最も売れている芸能人や著名人しか選ばれない」というものだ。

前述のとおり、番組開始は1978年だが、当時はキャンディーズ、山口百恵、ピンクレディーなど、今も語り継がれる昭和のアイドルが現役で目白押しだった。そんな中、パーソナリティはピンクレディーが選ばれている。これは、とある山口百恵ファンが「たしかに当時のピンクは日本中を席巻する凄まじさで、百恵でさえ及ばない勢いがあった」と語るほどである。

売れっ子の芸能人やタレントは多くの場合、殺人的スケジュールと形容されるほどの残酷なまでに多い仕事量をこなす。猛烈に忙しいアイドル連中からすれば、24時間全く寝られないことは日常の延長線上なので、体力的にキツくても、慣れないライフサイクルではない。アクビさえしなければ、眠そうな顔もしんどそうな顔も「笑顔を忘れてチャリティに真面目に取り組んでいる」と解釈される可能性もあり、イメージダウンにもなりにくい。ファンや一般視聴者にしても、生放送で人気タレントが拝める確率が高い。下品な内容でなく一応はチャリティ番組なので心理的抵抗も少なく、テレビをつけた時に自然とチャンネルを合わせるだろう。つまり、タレントにも局にも視聴者にも都合が良い仕組みである。

私は小学生の頃、アイドルでは工藤静香の大ファンだった。当時の彼女は楽曲やタイアップに恵まれヒット曲を連発しスターの仲間入りを果たした頃で、パーソナリティには選ばれていないものの、沖縄を舞台にしたスペシャルドラマで聴覚障害を持つ不良少女役で出演した。クライマックスで、仲間を励ますためにたったひとりで手話だけの演説を数分間に渡って延々と行なう場面があった。当時は多忙なスケジュールだったろうに彼女もよく手話を覚えたものだと思うが、自分にとっての絶対的アイドルが手話をする場面を見て、手話を覚えようかなと思ったのを覚えている。我ながら不純な動機だと思う。おかげで「私、甲子園に行きたい!」という手話は今でも覚えている。

選考基準が不透明なため何ともいえないが、日本テレビの24時間テレビに関係した事実は、アイドルや芸能人にとって、NHKの紅白や朝ドラや大河に出場が決まることと、ゴールデンタイムのテレビドラマに出演が決定することと同じぐらい、隠れたステータスなのかもしれない。

私がもしそれなりに経歴も知名度も影響力もあり、自分の意志で好きに仕事を選べる状況で、更に基本的にテレビに出ない芸能人や著名人だったとして、フジテレビの24時間テレビからオファーを受けても即断ると思う。一方で日本テレビのほうからオファーを受けたら、少なくとも検討はすると思う。

もっとも、最近はジャニーズ事務所のアイドルに依存しすぎだとも思う。

チャリティの姿。

昔見た場面のひとつ。フィリピンのスモーキーマウンテンを取材した女優が、現場の悪臭の凄さに足が止まり、取材の車に戻ってしまう場面が放送された。現地の誰かと触れ合って笑顔や涙で終わるという予定調和は、あったかもしれないが記憶にない。きれいごとだけでは済まない、海外の貧困地域を取材するのはどういうことかという現実を教えられた瞬間だった。

当時は1980年代後半、日本はバブル景気の絶頂を迎える頃だ。「財テク」「リゾート」「節水」「トレンディ」という単語が溢れ返っていた。当時の映像、たとえばコカコーラやクレジットカードのテレビCMなどをYouTubeで見れば分かるが、「これこそがバブルクオリティ」という、言葉ではうまく表現できない、豊かな国の絶対的な感覚がある。当時のそういった世相で、前述のような世界の貧困地帯の映像を流したのが24時間テレビだ。仮に視聴率は振るわなかったとしても、「寄付した現金は有効活用されているのか?」「募金という愛情を必要とする場所が世界にはどれだけ存在するのか?」という問いに答える意味で、本質は捉えていたと思う。

個人的には、24時間テレビは、基本思想から外れた演出が久しくなり、バラエティ色が強くなった傾向があると思う。今後も続けるのが確定しているなら、別の部分にテコ入れをする時期だと思う。

たとえば2011年には徳光和男さんがマラソンランナーに選出されたが、心筋梗塞を患った過去のある70代の男を走らせるだなんて正気の沙汰ではない。徳光さんが非常識なパワハラだと告訴していたら、楽に勝てたとさえ思う。ゴリ押しの感動を晒す以前に、最低限の「安全」を確保すべきだろう。

マラソンを走っている姿に合わせて、ZARDの「負けないで」を流す場面もよく知られる。あれは走るランナーに沿道から浴びせられる野次や罵声をかき消す効果があるとも聞く。「負けないで」も、曲自体が名曲なのは私も認めるが、聴き飽きた。聴き飽きた人は私以外にも多いと思う。現在、音楽番組やカラオケでアレを歌ったとして「聴き飽きた」で終わらせず「うわ、歌がうまい」「散々聴いたはずなのに、こういう歌だったんだ、再発見できた」と思わせる人がいたら、それは相当な歌唱力に違いない。

番組関係者が新聞のインタビューで話していたが、「世界の三大危険地区のひとつと呼ばれるところに取材を申し込んだら、日本国の日本テレビ名義だと許可が下りなかったのに、日本国の24HOUR TELEVISION名義だと許可が下りた」という逸話がある。日本テレビが、チャリティのブランドを妙な方向に利用した証明だが、世界でも認められていることを示すエピソードでもある。

アイドルのコンサートではなく、マラソンを応援するためでもなく、基本主旨はもっと地味であってもいいはずなので、勘違いしないでほしいと思う。

番組には、批判も実に多い。「番組を中止して、浮いた制作費をまるごと募金した方が、よっぽど世のため人のためだ」という実にごもっともな意見もある。偽善の固まりみたいな番組かもしれない。それでも、第一線の売れっ子タレントばかりを贅沢に集めて、その都度世間一般の注目を浴び、チャリティというテーマの問題提起を図っているのも事実だ。

冒頭に書いた通り、私は、24時間テレビの基本主旨自体は評価している。ノーベル平和賞を狙える、テレビ界の良心が生んだ結論のひとつだとさえ思っている。

批判すべき矛先は、スタイル、すなわち「やりかた」だ。

ちなみに私は「サライ」よりは「思いのままに」* のほうが好きだ。

生まれ育った故郷(ふるさと)を捨てて、遠い夢を求めて上京する若者の不安や希望を描いた「サライ」も悪くないが、募金呼びかけという形の愛を求める、番組の基本テーマとは異なる気がする。


* 「思いのままに」は、タレントの南野陽子が1989年に24時間テレビで披露した歌である。当時、彼女は人気絶頂のアイドルだった。

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24時間テレビ
FOCUS ON 24HOUR TELEVISION
公開:2021年08月26日
更新:2023年07月12日