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蒼い時

風従ふうじゅう

あおとき』は、俳優の三浦みうら友和ともかずの妻である三浦百恵ももえが21才の時の随筆である。集英社しゅうえいしゃから1980年9月に初版が刊行された。

1980年を代表するベストセラーである。


執筆当時、旧姓の山口やまぐち百恵で芸能活動を行なっていた彼女は、絶大な人気を誇るアイドル歌手だった。

山口百恵は、昭和の戦後に活躍した芸能人や著名人を語る際に、野球選手の長嶋茂雄や俳優の石原裕次郎、あるいは歌手の美空ひばりと並んで紹介されることも多い、戦後の昭和史を代表する人物である。

アイドル発掘を主体としたテレビ番組「スター誕生」でデビューした。テレビドラマや映画などで恋人役で共演を重ねた三浦友和と恋に落ち、1980年に彼と結婚し、同時に芸能界から引退した。現在は専業主婦として夫と子供に恵まれ、倖せに暮らしている。

絶頂期に引退したまま一切復帰していない。そのためか、ワイドショーや女性週刊誌などでは今も不定期に百恵復帰説が持ち上がる。

そんな彼女が、引退する時期に出版した随筆である。1980にはハードカバーが、1981年には文庫版が刊行された。文庫本では七〇年代を代表するスターと紹介されている。

彼女にとって特別な思い入れのある場所・横須賀への想いを綴った序章から始まり、出生における肉親との葛藤や、性についてや人を愛することについての解釈を綴った文が続き、誰もが羨む絶世のスターでありながらも、ひとりの女として愛する男の妻になるために引退を決意するに至った心理的経緯、その他もろもろが主な内容として掲載されている。

全体を読んで驚かされるのは、21才のお嬢さんが記したとは思えない、文の完成度の高さである。本のはじめには、当時まだ山口姓だった彼女の写真があるが、年齢を考えれば大人びた風貌をしている。

分類としては、芸能人の自叙伝に該当するが、内容の質の高さは、この世に出回る圧倒的多数のアイドル告白本からは一線を画した佳作と評価できる。


彼女はデビューから間もなくして、年齢の割に妙に色気づいた、大人の落ち着きを持ったイメージで売られた。それは初期のヒット曲「青い果実」や「ひと夏の経験」などの題名にも詞にも顕著であり、彼女の風貌にも明らかだ。おそらくは同世代の他の少女とは違った雰囲気を持っていたのだろう。

本書の序章にて、彼女はふと手に取った横須賀の風景の写真集から、街への気持ちを文にしている。この冒頭からして21才の筆力を越えている。横須賀──で始まり、私の原点は、あの街──横須賀。で終わる。哀惜と孤独と愛しさの織り混ざった複雑な表現の連続は、優れた詩のようである。

続いて彼女は、自らが私生児である事実を告白し、父親に対する憎しみを赤裸々に綴る。その内容も、整えられた文章で、驚くほど冷静に、一方で感情的な部分もまじえて想いを展開している。

しぶしぶ認知した娘の百恵が売れっ子の芸能人になった途端に豹変した父の言動、あるいは17才の年齢でお金で(父と血縁を切るための)解決がつくなら、何百万でも、何千万でも、どこに借金したっていいから払ってしまえばと実の母に対して言い放ったくだり。私が特に印象に残ったのは、後半だ。

彼女は喫茶店で紅茶を飲む際に、父親と同じ癖を自分の中に発見して、そこに自分と父の血のつながりを否応なく再確認させられる。私はやはり、あの人の娘なのだと、認めないわけにはいかなかったと語る。腕利きの脚本家や小説家なら作れそうなエピソードだが、その先。私が歌手という仕事を選択していなかったら、ごく普通に学校を出て、普通に就職した娘だったら……母やあの人の人生も昔のまま変化しなかったのでは(中略)雑多な状況は別にしても、それなりに平和な四人家族でいられたかもしれない、という考えに彼女は達する。

自分を私生児にしただけでなく、母を経済的にも愛情面でも苦しめた父を憎むのは当然の成り行きだろう。しかし随筆では、単に父に対する憎悪で終わるのではなく、別の可能性があったかもしれないことを示唆する。しかしそれは自らの選んだ道により叶わない未来となった、それゆえ母と妹に対してだけは、私の職業が負い目になっていると語る。

生い立ちや生活環境が彼女を自立させたのかもしれないが、やはり年齢の割に大人だったのではないかと思う。自分に原因があると考えることや、こういう解釈による他人への配慮や遠慮は、少なくとも世間知らずで精神的に幼い小娘には、おそらくできまい。


同書は、ひとりの少女の生い立ちから歌手デビュー、そして恋に落ちて引退するまでの記録だが、全体的にみると、芸能人というよりはあくまで等身大の一人の女性の視点で物事をとらえている感じがする。「年齢に似合わない色気」「年の割に大人だ」「一度、お話をしてみたかった」と周りから特別視されて嫌だった、自分のことを周囲の人より大人びているなどと思わない、と様々なページで彼女は打ち明けるが、「大人びていると思わない」「年齢相応に見られたい」と思う時点ですでに大人である。

本書では、様々な物事を一貫して卓越した文体で綴っている。「結婚」と「引退」をすでに決めた時期に書かれたものだが、人気絶頂で、多忙を極めていたはずである。執筆時期と重複するかは不明だが、出版と同じ年に、市川崑監督の映画「古都」に一人二役で主演している。執筆に4ヶ月かかったと明かしているが、寝る時間も満足に取れない売れっ子のアイドルが、たとえ寸暇を惜しんで書いたとしても、こんな見事な随筆を書けるのだろうか、ゴーストライターでもいたのではないかと疑いたくなる。更にいうと、ワープロもパソコンも一般には普及していない時代に、彼女は自分の名前入りの原稿用紙を100冊特注し、万年筆で執筆している。つまりは口述したテープを誰かにまとめてもらうのではなく、原稿に直筆している。そんな手間のかかることを、「分刻みのスケジュールをこなす超人気アイドルの百恵ちゃん」が行なう時間的余裕があったのか? と疑いたくなる。しかし同書の終わりには原稿用紙で書かれた草稿をそのまま掲載している(ハードカバーのみ。文庫本では活字で収録されている)。なので、彼女が全て書き下ろしたと信じよう。

本の中で、人気アイドルの忙しさを、殺人的眠ることさえ自由でない仕事現場についても起きられない忙しすぎた現場から次の現場へ走り回るだけの毎日だった、と書いている。とても整った文なのに、忙しさの表現が意外とありきたりなのが、個人的には驚きだった。

例を挙げると、1975年夏から翌1976年4月にかけて、彼女は連続テレビドラマ「赤い疑惑」に主人公の大島おおしま幸子さちこ役で出演しているが、当時の彼女は新曲のレコーディング、CM撮影、雑誌のグラビア、バラエティ番組への出演、テレビドラマ出演、歌番組、映画の撮影、地方営業と、とにかく仕事量が尋常ではなかった。テレビの歌番組は、事前収録ではなく生放送が基本の時代なので、収録のための移動やスケジュール調整は困難を極めたに違いない。仕事の一方、現役の学生として高校にも通っていた。

「赤い疑惑」については、百恵の時間調整がつかないため、彼女が後ろ姿だけで登場する場面を代役で済ませたり、あるいはまとめ撮りするなどの撮影がしばしば行なわれ、そういった体制に疑問を抱いた共演のベテラン女優が降板する事態に発展している。また数年後、学校での出席日数が足りなかった彼女は、3月に卒業できず、新年度を迎えた数ヶ月後に高校を卒業している。それほどに多忙だった。ただし当時のドラマや歌番組を知る世代の人に様子を聞くと、テレビで見せる彼女は、疲れた表情や眠そうな仕草は一切見せていなかったと当時を回想する。

今、蒼い時。

読み進めるには、1970年代の日本の世相などを知らないと理解できない場面などもあると思う。それでも、よくある芸能人の告白本とは比較にならないほどの優れた本である。

本書は、山口百恵がこれから結婚するという、まさに幸せの絶頂にある時点で時間が終わっている。

三浦百恵になってから現在までの経緯については、夫の三浦友和が著した随筆の「被写体」(マガジンハウス刊)に詳しい。蒼い時の後に読むと興味深い内容かと思うので、機会があれば一度ご覧になることを勧める。「蒼い時」が70年代を映した本なら、「被写体」は、さしずめ80年代から今に至るまでを記した本といえるだろうか。

詳しくは、読んでのお楽しみ。


現在、三浦百恵の母と父はすでに亡くなっている。

彼女はふたりの息子に恵まれた。

三浦夫妻は結婚後なごやかな家庭を築き(一度も夫婦喧嘩をしたことがない、「不倫」という言葉が最も似合わない夫婦、といわれている)、今も倖せに暮らしている。

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蒼い時
AOI TOKI
公開:2021年09月25日
更新:2022年08月26日