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魔術はささやく

発端ほったん」、そして「最後の一人」に至るまで。

魔術まじゅつはささやく』は、宮部みやべみゆきによる小説である。新潮社しんちょうしゃから文庫が刊行されている。

第2回(1989年)日本推理サスペンス大賞を受賞し、過去にテレビドラマ化もされている。

高校生の少年、日下くさかまもるは、公務員の父と母と3人で暮らしていた。しかし父が公金横領して失踪し、地元の人から疎外され、母と2人暮らしの孤独で貧しい生活を強いられる。そしてその母も亡くなり、母方の親戚の家に身を寄せることになる。

学校生活の陰で「泥棒の息子」とレッテルを貼られる日々。家族同然に扱ってくれる親戚の人、優しいバイト先の人々、学校で親しくしてくれる同級の女生徒(“あねご”というあだ名が付けられている)……守の過去や現在を中心に話は進む。そんな矢先に、同居先の伯父が車で人身事故を起こす。しかもタクシーの運転の仕事中に! 安全運転で表彰されたこともある伯父が事故など起こすだろうか。亡くなった相手の女性がいきなり車の前に飛び出してきたのではないのか。女性はどんな人だったのか。守は女性について調べようと行動を起こす。並行して、読者の目にしっかりと触れる形で、しかしものすごく実にさりげなく、後半のどんでん返しにつながるような伏線も敷いていく。

失踪したままの守の父・敏夫としおを匂わせる身なりのいい中年男性の出現、守の鍵破りの技術、廃刊の風俗雑誌、死んでいく何人かの女性、不審な電話、バイト先の異常……。それぞれが1つに繋がる時に、思いもがけない事実が明らかになる。

クライマックスで、守は話の真相を握る人物から、ある男の罪を裁くか、それとも赦すかの選択権を委ねられる。守がどんな行動を取るか。そしてその行動の後に、題名の意味を暗示する場面が待っている。そして話は終わる。

物語の中では携帯電話もインターネットも登場しない。会話の中で「景気がいい」という言葉が登場するので、バブル絶頂の頃が時代背景になっているのかもしれない。それでも時代的な古臭さを感じさせず、充分に作品の世界を堪能できる。もし未見で、これからハードカバーと文庫のどちらを読もうか悩んでいる方がいるなら、私は文庫版を勧める。本編終了後に添えられた解説の内容が実に的を射ていると思うからだ。

作者の宮部みゆきは、本名を矢部やべみゆきといい、SFや時代物など多彩な世界を舞台に、小説を書く人だ。現代小説界を代表する人気作家の筆頭格といってよく、短編も長編も中編も多く著していて、いくつかはテレビドラマや映画などの形で映像化もされている。

私が作者を知ったのは高校生の頃。当時読んでいた雑誌ダ・ヴィンチの記事からだった。そこから校内図書館で彼女の著作物を読むという順を踏んだ。彼女の話は推理小説の形態を取っているが、テレビの2時間ドラマのように、素人探偵が犯人探しに躍起になったり、目の覚めるような殺人トリックを暴いたり、容疑者のアリバイ崩しに奔走したりの類いは殆どない。市井の人が事件などに遭遇する。具体的な地名がいくつも出てくる。東京の下町を舞台にしたものが多い。そこから物語が発展していく。

前述の通り、宮部みゆきは売れっ子の作家である。発表している作品数もさることながら、受賞した文学関連の賞の数も多い。文庫本化されている「理由」では直木賞を受賞。審査委員の満場一致で決まったという。東京の下町が大好きで、無類のテレビゲームマニア。とても小柄な女性だという。小説を書くのはワープロ機で。長者番付の作家部門に名が挙がるくらい稼いでいる割には、贅沢をまるでしない庶民的な生活をしているという話も聞く。以前に何かの賞を受賞した時に新聞社のインタビューを受けた際には「私はただただミステリーが好きだっただけ」と答えているが、その記事には「現代を生きる希代の語り手としての期待」とか書かれていたような。今現在も雑誌などに連載も抱えているだろうし、これからますます刊行作品も受賞歴も増えるだろう。更に今後の活躍に期待したい。

そんな彼女の作品で、第一に語るとしたら、私は敢えて「魔術はささやく」を挙げたい。

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魔術はささやく
THE DEVIL'S WHISPER
公開:2021年12月05日
更新:2022年08月26日