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火の鳥

漫画の神様・手塚治虫先生のライフワーク。

とり』は、手塚てづか治虫おさむ先生による漫画である。数ある手塚先生の作品でも、特に代表作とされるひとつである。作者の急逝により、未完のまま終わった作品のひとつでもある。

手塚先生が漫画家として活動を始めた初期から最期の頃まで、掲載誌を様々に変えながら世に発表された。現在までに全集、単行本、愛蔵版、文庫などの形態で発売されている。

「生命の象徴」である火の鳥を語り部にして、超古代からはるか未来まで、時間を超越して、それぞれの時代における生命の本質や人間の業が壮大なスケールで描かれる。話の舞台としては日本が圧倒的に多く、またどちらかといえば仏教の思想が根底にあった。輪廻転生りんねてんせい(:生まれ変わりの意)などはそのいい例だろう。黎明れいめい編、未来編、ヤマト編、宇宙編、望郷編、羽衣編、乱世編、生命編、異形編、太陽編などがある。作者の意図としては、超過去、超未来、近過去、近未来と交互に過去と未来を描きながらだんだん年代が近づいていって、最後は「現代編」で大団円を迎える予定だったという。具体的には、原始時代の日本を描いた「黎明編」の次が超未来の「未来編」と続く。未来編の中で人類が滅亡、時間をかけて地球が再生し黎明編の冒頭につながる形になっている。その次の「ヤマト編」が黎明編の次の時代という設定になっている。更にその次の「宇宙編」は、「未来編」よりも過去の年代という設定になっている。「太陽編」では21世紀の訪れを祝う場面や社会の異変があり、今我々が生きる現代に近い時代になっている。「太陽編」は、世紀末における終末思想やカルト集団の凶行を描いているが、作品自体は1980年代のバブル景気の時代に発表されている。ちなみに太陽編の後は、20世紀半ばの中国・上海を舞台にした「大地編」が予定されていた。しかし作者の死により、全てが曖昧なまま終わった。

火の鳥はどの編もそうだが、基本的に勧善懲悪は成立しない。弱肉強食の世界だ。善人や弱者はあっけなく殺されたりひどい目に遭ったりして、悪事を働く人は逆にのうのうと生き残る。あれっ? と思って読み進めると、勧善懲悪を越えた生命の業というとてつもない主題が顔を出す。語り部である火の鳥は大抵はそんな様子を傍観しているだけだが、不死鳥という火の鳥の存在に人々は憧れ、嫉妬する。火の鳥の生き血を飲めば不老不死になれるという言い伝えがなぜか必ずどの時代にも存在して、その為に火の鳥は命を狙われる。そんな人類に対し火の鳥が見せるのは「神」としてのかおであり「森羅万象の母」としての貌であり「裁きを下すもの」としての貌である。火の鳥に登場する、時の権力者が最期に望むのは必ず「不老不死」であり「永遠の命」である。しかし話の中で無理やり不老不死にさせられた人は、必ず「死ねない体」であるがゆえに孤独にさいなまれる。自殺しようとする者もいる。「生きている時には死を恐れるが、死ねない体になると生き続ける我が身を憎み、死を望む」。人間の身勝手な欲望を極端に単純化すればそのように集約できるのかもしれない。

この作品のどの編が一番のお気に入りか。人の意見を見ていると、年齢によってそれは違ってくるらしい。私も初読の高校生の時は「太陽編」が好きだったのだが、今は「復活編」と「鳳凰編」が好きだ。火の鳥が掲載されていた雑誌は幾つかあるが、全て廃刊・休刊・もしくは雑誌のサイズが小さくなるなどの変更があった。その度に出版業界では「火の鳥のたたり」といわれた。その一方で、商業を無視したといえるテーマでありながら、単行本がどれも好調な売れ行きである。

自我の確立していない少年期に読むと、哲学に思い耽った末に妙な新興宗教に入信してしまいそうな可能性さえ持っていそうな、壮大で緻密な漫画である。漫画界の聖書といっても過言ではないし、これに匹敵する漫画も出ないかもしれない。時々この漫画を読み返すが、読後にやっぱり考え込んでしまう。

そして作者が他界して久しい今、絶対に実現不可能と分かりながらも、やはり大地編を含む、火の鳥の未完の部分を知りたいと時々思う。どういった結末を用意していたのか。そこで火の鳥を狂言回しにした手塚先生は、何を、読者に伝えたかったのか。と思う一方で、この作品の深遠さは、当初から、未完の大作として幕を閉じることを運命づけられていた気もする。

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火の鳥
HINOTORI
公開:2021年12月25日
更新:2022年08月26日