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この世界の片隅に

昭和20年、広島・くれ。わたしは ここで 生きている。

『この世界せかい片隅かたすみに』は、片渕かたぶち須直すなお監督によるアニメーション映画である。2016年に公開された。本編129分。こうの史代ふみよの同名漫画を原作としている。

1944年(昭和19年)。広島市江波えばに住む18歳の浦野うらのすずは、突然の縁談により、20km離れた呉の北條ほうじょう周作しゅうさくの元に嫁ぐ。当時の呉は軍港として栄え、周作も書記官として海軍に勤めていた。見知らぬ土地・呉で北條すずとして暮らす日々。戦況の悪化から配給物資が減る中、すずは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日の営みを輝かせていく。ある時は遊郭に迷い込み、遊女と出会う。またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生が現れ、すずも周作も複雑な想いを抱える。1945年(昭和20年)3月、呉は空襲にさらされ、すずは大切にしていたものを失う。

そして、1945年(昭和20年)の夏がやってくる。

2016年11月12日の封切り以後、異例のヒットとなった。公開規模を拡大し、その後もロングランを重ねた。

「クラウドファンディング」「SNS」「のん」

この映画の大きな特徴として、制作段階の2015年時点で、インターネット上で一般から資金を調達する「クラウドファンディング」を利用したことが挙げられる。当初の目標額2,000万円に対し3,900万円を超える金額が集まった。これは当時、日本国内クラウドファンディングにおいて映画ジャンルでは最高金額である。なお、支援者の一覧は映画本編のスタッフロールでも劇場パンフレットにも明記されている。

劇場公開されてから間もなく、SNSを中心に話題になり、絶賛の嵐となった。私はその盛り上がりでこの映画を知り、実際に劇場で鑑賞したのだが、あえて先入観を持たずに見たかったので、「広島を舞台にした戦争映画」ぐらいしか知らないまま鑑賞した。結果、非常に素晴らしい映画として感銘を受けた。

2016年は「君の名は。」や「シン・ゴジラ」など邦画の大ヒット作が幾つかあった。しかし公開前の下馬評や制作当時の予算規模を考えると、一番の労作であり出世作は「この世界の片隅に」だろう。なにせクラウドファンディングで資金を調達したのである。その後数年にわたりロングラン上映をしているので、反響の大きさが分かる。

主役の北條すずを演じた「のん」は、旧芸名が能年のうねん玲奈れなだったが、所属事務所とのトラブルが理由となり、芸名を「のん」に改め活動していた。「のん」名義で芸能活動を開始して間もなかったこの映画が、早くも記録的なロングランヒットとなった。

時代考証も演出も、出色の戦争映画。

この映画は、1940年代当時の広島における民間人の営みをあるがままに描いている。年齢にして20歳になるかならないかの小娘が、知らない土地の知らない男性へ嫁ぎ、日々の生活や家事に精を出しながら時を刻んでいく物語に、「この物語自体はフィクションだけど、モデルとされた人物もいないようだけど、当時の広島でこんな女性やこんな家族は、きっと実在したのだろう」と思わせる説得力がある。原爆の描写をどのように処理するのか気にしていたが、実際の原爆の場面は「なるほど、そうくるか。この映画ならこれが自然だろうな」と納得できるものだった。

公開当時、SNSで度々話題にされたのが、声優初挑戦となった「のん」の演技の素晴らしさだった。全体的にのほほんとしてちょっと抜けている感じが、彼女本来のキャラと演じた役柄とでピタリ一致しているのかと思っていたが、空襲を目の当たりにした時の心境、夫婦喧嘩、ラブロマンス、嫉妬、片腕を失った時の自問自答、玉音放送を聞いた時に叫びながら泣き崩れる瞬間、娘を失った小姑との和解、そして最後の場面と、それらすべての表情や動作が実に見事で、「さすがNHKの朝ドラで主役に選ばれただけある」と感心させられた。

全編が広島弁で展開される。しかし登場人物たちの会話はすんなり理解できる。戦争の場面や死体もあることはあるが、最小限の描写で抑制されている。なので全国の小中学校で道徳の時間などで放送してもいいのではと個人的には思う。日常の庶民の生活を描き、その視点から戦争を描いたあたりが、きっとイギリスやアメリカやフランスを始めとした諸外国でも評価された理由だろう。

劇場パンフレットについて語ると、近年では珍しい右綴じ製本である。最後のページのキャスト&スタッフを除いて、縦書きのレイアウトデザインになっている。企画の始まりから映画が完成するまでを明らかにしたプロダクションノートのページでは、この映画がいかに難産だったかが伺える。映画評論家のコメントや映画に登場する用語の説明ページからは、この映画は子供向けでなく大人向けだとも察しがつく。何度読み返しても、「ここまでロングラン上映を重ね、様々な賞を受賞するほど評価をされるとは、制作時点ではたぶん誰も考えなかっただろうな」と思う。

話の最後で、戦争が終わった後に白米を炊く場面が出てくるが、きらきらして輝くような白米の描写が非常に印象に残る。

また、目の前で母親を失った戦災孤児の少女がすずたち夫婦に拾われる描写は、まさに戦後の復興や希望の象徴として、強く胸に残る。

あらすじをよくよく辿れば、それなりに残酷でつらい場面も多い。それを優れた演出や役者の演技の素晴らしさで、柔らかな印象にとどめることに成功している。題名にもなった「この世界の片隅に」という言葉が、本編の結末ともつながっていて、まさにこの映画のテーマを見事に表現している。

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この世界の片隅に
IN THIS CORNER OF THE WORLD
公開:2020年11月12日
更新:2022年07月16日