CROSSWHEN

広告

***

ビッグ・フィッシュ

人生なんて、まるでお伽噺さ。

『ビッグ・フィッシュ』は、ティム・バートン監督による映画である。日本では2004年に公開された。本編125分。原作は同名のベストセラー小説。

ジャーナリストのウィル(ビリー・クラダップ)とジョセフィーン(マリオン・コティヤール)が結婚するが、その晴れの式でウィルの父エドワード(アルバート・フィニー)は、ウィルが生まれた日に釣ったという巨大魚(ビッグ・フィッシュ)の話を始める。「主役である新郎新婦の僕らを差し置いて話題を独り占めにして!」とウィルはカンカンになって父を責める。

数年後、エドワードは死期が迫っていた。ウィルは仕事を片付け、身重の妻と共に実家に戻る。父エドワードはすでにベッドに寝たきりの状態だった。しかし気力は大丈夫なようで、いつものように陽気に昔話を、ホラをまじえて語りだす。「親父は昔からこうさ」と呆れるウィルだが、義父を庇う妻には「フランス人の君を相手にロマンスを語っても勝てないよ」と甘い。

症状の重くなったエドワードは病院に搬送される。病院のベッドで、半ば意識朦朧となるエドワードは、そばでひとり自分を看取る息子のウィルに、自分がこの先どうなるかを、つくり話を作って聞かせるように頼む。うなずいたウィルは、いつも父がするように、ホラ話を語り始めるが……。


虚言癖のある父エドワードは、晩期をアルバート・フィニーが、青年時代をユアン・マクレガーがそれぞれ演じた。映画の大部分は、主役・エドワードの語るホラを含めた昔話である。ユアン・マクレガー扮する若き日の彼が、生まれ故郷の小さな村を後にし、巨人とともに都会に向かう。お金のない彼はサーカスの雑用として雇われ、やがて金髪美人に一目惚れし結婚する。時は20世紀半ば。彼は兵士として戦地に赴くが持ち前の機転で生還し、妻の元に無事に帰ると、保険の営業マンとなる……とこれだけだと何の変哲もないただの回顧録だが、通常ならばありえないような冗談が幾つも散りばめられている。それを映像化するために、巧みにCGが取り入れられている。しかもそれがあからさまなCGなのに幻想的で柔らかい。公開当時、インターネット上では「原作小説を先に読んだが、こんな夢と現を行き交う複雑なイメージをどう映像化するのか不思議だったが、見事にティム・バートンにやられた。脱帽」というコメントがあった。

はじめは父の話をバカにしていたウィルが、実家の物置で見つけた、ある新聞記事をきっかけに、父の生きた証を追うように、ある場所へと向かう。そこである老婦人に出会った彼は、自分が今まで誤解していた、本当の父・エドワードの像をそこに見出す。

物語は、ウィルが病院のベッドで横たわる最期の父に創作話を語るあたりからが圧巻である。話を終えた朝、エドワードは他界し、葬儀が催される。そして葬儀も終えた後、ウィルは自宅に戻り、家族との時間を過ごす。そして在りし日の父との想い出を子供たちに語り始める。終幕。しかもスタッフロールが流れる時の曲、パール・ジャムによる "Man of the Hour" (時間(とき)のたびびと)も素晴らしい。


実父を亡くしたばかりの、それなりの人生を経験した男性が観たら、かなり胸に迫る部分があると思う。映画の主題が「父と息子の和解」なので、おそらくは女性よりも男性のほうが、映画と自分の境遇を重ねやすい。

劇場公開当時の映画のキャッチコピーは良い人生だったね。その大切さに気づいたのは、最期のときだった。など、言葉だけを辿ると新手の新興宗教か、人生指南の説教読本じみている感じがあるのだが、映画にとても適合した、素晴らしい宣伝文句だ。

同じ米国映画で、未婚の母と娘の絆を描いた「ステラ」(私はベット・ミドラー主演の作品を推す)という映画がある。「ビッグ・フィッシュ」は、ステラに勝るとも劣らない佳作だと思う。

一言で表現するなら「父と息子の物語」であり、「大人のための寓話」である。

広告

***

ビッグ・フィッシュ
BIG FISH
公開:2021年05月15日
更新:2022年07月16日