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アルジャーノンに花束を

時をこえ、世代をこえた現代の聖書バイブル

『アルジャーノンに花束はなたばを』は、ダニエル・キイス著作、小尾おび芙佐ふさ翻訳による小説である。早川書房はやかわしょぼうから1978年7月に初版が刊行された。

中編小説と長編小説があるが、ここで紹介するのは長編小説である。

1960年代の米国。32歳になっても幼児程度の知能(IQ68という設定。IQは100前後で並、200以上で天才といわれる)しか持たない男性チャーリィ・ゴートンの毎日は周囲の人からの暴言と嘲笑に満ちていた。昼間はパン屋で労働、夜間は精神薄弱者センターで苦手な勉強の日々。センターでは優しい女性教師アリス・キニアンがいる。チャーリィは挫けず、陽気に生きていた。

ある日、夢のような話が持ちかけられる。「頭を良くしてあげる」。その正体は大学教授らの提唱する新型の脳手術の実験体だったが、そんなことを理解できるはずもなく、チャーリィは「頭が良くなるんだ!」と快諾する。過酷な検査を続ける中で、自分と同じ脳手術をひと足先に施された実験ネズミのアルジャーノンに出合い、親近感を覚える。やがて手術を終え、理知という新しい世界がチャーリィに開かれる。しかし目覚ましく成長した彼は周囲から疎まれ、やがてパン屋も追われて孤立する。思い立ち、アルジャーノンと共に逃亡を図り、別れた家族の元に向かう。そこで様々な過去、精神薄弱者の自分が身内だったことで、家族がどれだけ苦しんできたか、そして自分が捨てられた存在であることを知る。

森羅万象を理解するほどの超天才となるが、白痴人間であった過去の自分の幻に追われるチャーリィ。そんなある時、アルジャーノンが驚異的な速度で知能が後退し、死んでしまうのを目の当たりにする。脳手術の限界か、あるいは副作用か。アルジャーノンの死に様に自分の行く末を見つけ、苦悶する。

やがてチャーリィは精神薄弱者に戻り、暮らしも元に戻っていく。

話は終始、チャーリィが「経過報告」する形式で語られる。必然的に一人称の文章が展開されるが、白痴→進化→超天才→退化→白痴という話の流れに沿って、序盤と終盤が誤字脱字だらけの稚拙な文体であり、中盤が漢字の多い難解な文体という、珍しい特徴を持っている。読者には必ずしも読みやすいといえないそんな特徴も、文字のみの本でありながら、主人公の世界を視覚で表現する効果を生んでいる。

この作品は現実には不可能な「脳手術」が登場するあたりが理由でSF小説に分類されるが、SFの枠にとらわれず、年代や性別、国籍を超越した不動の支持を得ている。雑誌が「感動した、泣いた小説ランキング」をすると必ず常連に挙がる、定番である。読書感想に多い意見は「感動した」「知識が必ずしも人を幸せにするとは限らないということを痛感した」「考えさせられた」「チャーリィが可哀想」「アリスが可哀想」「チャーリィのお母さんの苦悩がすごくリアルだった」「これを読んで泣かない人とは付き合えない」などなど。ただし、前述のとおり、文体があまりに特徴あるため、読書経験の乏しい人がいきなり挑戦すると、あまりにもつまらなく読みづらいために挫折するというのもよく聞く話だ。

作者の経歴はハードカバー、文庫本の両方にひととおり触れられている。顔写真も掲載されているので、「いったいどんな人がこんな話を書いたんだ」という疑問が湧いてもある程度は解決してくれる。それもひととおり済んで、それでもまだ頭の中から作品の余韻が消えない場合は、冒頭に収められた、プラトンの「国家」より引用した冒頭の文に意味を見つけることがあるかもしれない。

本書の中で展開するのは、主人公がどんな知能の時も人間であり、また彼の周囲には絶えず現実があったということ。障害者を生んでしまったチャーリィの母は自分を責め「この子はいい子よ」と頭脳が向上するようにチャーリィを叱咤激励した揚げ句に、健常者の妹・ノーマばかりを可愛がる。しまいには精神が少し弱くなる。妹のノーマは兄・チャーリィのことでいじめられ、兄を「あの人」呼ばわりして蔑むようになる。父・マットは家庭に無関心で、ついには離婚して独立し理髪店を営む。それぞれの苦悩は生々しく、感動路線では決して終わらない。きれいごとでは済まない部分も切り込んでいく。天才となったチャーリィが家族と再会しても、崩壊した絆が再び結びつくことはない。チャーリィが後半で訪れる障害者施設の場面では、更に現実のどうしようもない厳しさを描いてみせる。「きれい組」「ちらかし組」「金や物を与える人間は大勢いるが、時間と愛情を与える人間は数少ない」という言葉が登場し、問題提起をする。

物語自体はそれほど複雑ではないといえる。しかし様々な挿話が加わり、愛情、憎悪、性、生命、科学、倫理、哲学などの要素を取り入れることで、優れた作品に仕上がっている。主人公の辿った道から、幼児から成長して思春期を迎えて性に目覚め人生の黄金期を過ぎてだんだん老衰していく、ヒトの一生を見出すことも出来る。知識があっても決して恵まれているとはいえないことがある、では探求心とは何のためにあるんだろう、と哲学に悩むこともできる。しかしそこに明確な答えが必ずしも存在するとは限らない。

これは作者による創作である。現時点では、知能を向上させる脳手術も存在しない。しかしもしも脳手術で知能を向上させることが可能になれば、やはり希望者が続出するのだろう。そして彼らは天才に近い存在になった後にどんな未来が待っていても、きっと幸せなのだろう。私も自分がその選択肢を与えられたら、天才というものがどんな感覚なのかを知ってみたい、と必ず思うだろう。

この小説は、中編でも長編でも、最期に2行の文が登場して幕を閉じる。題名にもつながるこの末尾がまた、あまりにも有名である。

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アルジャーノンに花束を
FLOWERS FOR ALGERNON
公開:2021年07月31日
更新:2022年08月26日