かぐや姫の物語
姫の犯した罪と罰。
『かぐや姫の物語』は、高畑勲監督によるアニメーション映画である。2013年に公開された。本編137分。
桃太郎や浦島太郎などと並ぶ日本の古典「竹取物語」(またの名を、かぐや姫)を、アニメーションスタジオのスタジオジブリが作り上げた。制作に8年、予算にして50億円(正確には51.5億円との証言も)の巨額が投じられた。
これが劇場公開された2013年は、同じスタジオジブリ制作の宮崎駿監督によるアニメーション映画「風立ちぬ」が夏に公開された。本来は同時公開の予定だったが、この映画の制作が予定より遅れたため、夏ではなく秋の11月に公開された。
竹取物語の映画化は、本作が初めてではない。1987年には市川崑監督と沢口靖子主演で実写化したものが公開されている。この「かぐや姫の物語」も、日本のアニメーションスタジオとして圧倒的な知名度を誇るあのスタジオジブリが、そしてあの高畑監督が、時間も予算も人材も、贅の限りを尽くして生み出した。
日本の古典なら、桃太郎も浦島太郎も、一寸法師も鶴の恩返しもある。それなのに竹取物語が選ばれるのは、綿密な市場調査の結果ゆえか、あるいは一流のクリエーターたちを魅了する何かがあるのか。
この作品は、アニメーションの制作手順で一般的なアフレコと呼ばれる、アニメーション動画を先に作り、声の演技を後からのせるやりかたではなく、プレスコ(プレスコアリング)と呼ばれる、声の演技を先に済ませ、アニメーション動画を後からつくるやりかたを採用している。しかも、輪郭や色のはっきりした描画ではなく、水墨画や絵巻を思わせる、毛筆でなぞったような柔らかな線の作画でつくられている。いずれも、この物語の世界観を表現するのにとても適したものだとは思うが、制作において想像を絶する手間がかかったことは想像に難くない。
あらすじは、竹取物語の原作にほぼ忠実な仕上がりだ。原作にない登場人物や創作的な演出が追加されるなど多少の変更は当然あるが、物語自体は奇をてらった変化球ではなく。まんが日本昔ばなしで竹取物語を丁寧に制作したらこんな感じになるかもと私は思った。映画の冒頭も、今は昔、竹取の翁といふ者ありけり
という有名な一節がそのまま朗読されるところから始まる。
途中の急展開も結末も含めて話があらかじめ分かっているので、退屈にならないかやや不安になりながら見ていくが、映画にひきこまれ、2時間を越える尺があっという間に終わる。
中盤で展開される、お祝い行事にあたる名付けの儀のさなかで、かぐや姫が激昂して身にまとった衣装を脱ぎ去り、建物を脱走して鬼の形相で野山を駆け巡り懐かしの山にとぼとぼ戻る場面。あるいは終盤で幼なじみの青年・捨丸とともに大地や空の中を風になって巡る場面。などなど、どうやって描いたんだろう? と言葉を失いそうなほどすごい映像も時折ある。このあたりの演出や映像は、高畑勲監督のアニメーション映画でなければ、人材と予算と時間を湯水のように使った本作でなければ、実現不可能だったろう。
特筆すべきは、かぐや姫を演じた朝倉あきの演技だと私は思う。笑い声も怒りのさまも嘆くさまも素晴らしく、翁役の地井武男、媼役の宮本信子ら、いずれ劣らぬ両名優とのやり取りさえも、見ていて非常に自然である。
高畑監督がこの映画を制作するにあたって掲げたキーワード、かぐや姫はいったい何故、何のために地上にやって来たのだろうか
が、後半部分に意味を持ってくる。
最後、月からの迎えが訪れる場面では、妙に不思議な明るい音楽が流れる。これも含めてこの作品で音楽を担当したのは、音楽家の久石譲だ。全編を通じて素晴らしいスコアを提供している。エンディングテーマ「いのちの記憶」は、二階堂和美が担当しているが、これも映画に似合う素晴らしい曲だ。
血湧き肉踊る冒険活劇ではなく、日本人なら知らない人はいない有名古典が原作だ。しかも絵柄が非常に独特なので、絶賛する人も酷評する人もいると思う。
大ヒットは難しいかもしれないが、公開から何十年経過しても、根強い評価を受ける、そんな作品に化けそうな気がする。
それこそ、高畑勲監督の「火垂るの墓」が、今もなお世界中に影響を与えているように。
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- かぐや姫の物語
- THE TALE OF THE PRINCESS KAGUYA
- 公開:2020年11月23日
- 更新:2022年07月16日
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